2013-11-18

つん 【 tsun 】 さん インタビュー

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―小さい頃から絵を描くのがお好きだったんですか?

絵を描くのは好きでしたが、本格的に描き始めたのは、ここ20数年間でいうと、本当に最近です。

―では、そこに至るまでの道のりをお話しいただけますか?

幼・小・中・高とまったくタイプが違う子で…
まず幼稚園では、お遊戯とか本番でまで練習しないで、すっごく怒られても、本番になるとできちゃうタイプ。

小学校では、おとなしくて…ちっちゃかったですね。
お母さんからもらった500円とかで鉛筆とかシール集めをするのが好きで。
でも、幼稚園から習いごとはかなりやっていました。
ピアノ・水泳・書道・そろばん・英語・ダンス。
自分からやりたいとか、友達がやっていたからやりたいとか言って。
一回はじめたらやめたいというのはあまりなかったです。

今から考えると面白いのは、小学校の先生がすごい字がきれいだったんですよ。
で、小1~2年生で行書体にあこがれました。あまり小学生はあこがれないと思うんですけどね。
好奇心は旺盛だったかもしれません。
絵は落書きでセーラームーンとか好きだったのでそういうのを描いたり…
自然の絵のコンクールで服のデザインのような絵で賞を取ったことはありました。
小学生の佳作ですけど。でもお仕事にしたいとかはとか思ってなかったです。

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(力強く色鮮やかな原画)

中学校は受験したんですね。今でも仲良くて繋がっている友達が多くいます。
部活には入らずスクールバスで帰って、駅で赤ブドウのジュースを飲むのが楽しみ。
という地味な生活でしたけど(笑)

中高一貫だったんですけど、高校も受験して別の女子高へ行きました。
いろいろ知っている人の中で出来上がっている自分のイメージを、
同じ環境で変えていく勇気がなかったので、
新しい場所にいってみたかったんですね。嫌なことがあったわけではないのですが。
逃げたわけとかでなく、この『今』を新しいものに変えていきたいと思って。

高校はダンス部に入部しました。3年間楽しかったです。
それに、自分の気持ち的にですが,部活の中でグーンと成長した時期がありましたね。
人に見られるのが恥ずかしいという想いがあると、振りが小さくなって、自信がないようにみえるなと思い、
ひたすら練習しました。肉離れするまで。
先輩とかほかの人に認めてもらいたいって思ったので。それで少しずつ度胸や勇気が付いてきました。

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(『みんなでシェア企画展vol.12』DMの原画と)

―いろんな環境でちょっとずついろんなものを得ていったんですね。で、高校卒業後、グラフィックデザインの専門学校に飛び込んだわけはどのへんにあったのでしょう?

高校生の時期って進路が漠然としていて当たり前とは思うんですけど、受験ってなったとき、保育系の学校だったのでそのつもりではいたのですが…「何か違う」と思って、3年でクラスを変わったんです。
それでいろいろ思い返して、部活で文化祭用の壁画を描いたとき、自分がそれが好きで、率先して描かせてもらったことを思い出したんですね。

ダンス部なのに、絵でほめられると嬉しい自分に気付いて。
そこで、絵が好きだということが分かりました。

その時、美大も頭をよぎったんです。
でもお金かかるし、私勉強嫌いで、奨学金払っていく自信はなくて。
それに、みっちり専門的に絵だけをみっちり学べるほうが自分にはいいと思って専門学校を選んだんです。
で、体験入学行ったら先生方が楽しくて、受けることに決めました。

母が合格発表日に「うちの子受かっていますか?」って電話で聞いちゃって…ちょっと恥ずかしかったかな(笑)

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(カゴ一杯になったいつも使っているペンの一部。お家にはまだまだあるそうです。)

―なるほど。飛び込んだ専門学校はいかがでした?

グラフィックデザインというのがよくわからないまま入ったんですが、専門学校行ってよかったです。
入って絵のうまい人がいっぱいいて、「あーっ」ってなってしまったんですけどね。
そのときまで「絵はうまくなければいけない」、超越しているのがうまいことだと思っていたんです。
でも、卒業ギリギリで卒業制作で、落書きみたいな絵を

「これやりたいと思うんですけど。。」って先生に出してみたら

「なんでもっと早く出さなかったの!」って言われて。

それで、
「ああ、絵はうまくなくてもいいんだ!」って思えるようになったんです。

どんな職業や表現方法であっても、形や見た目として、バランスが整っていたり、
とにかく作り出されたものが美しいと感じれるのものが一番の評価基準なんだろうなあって思ってて。
絵もそうだと思っていたんです。それがやっとそこで覆ったんです。

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―それまでの、絵に対する固定観念がひっくりかえったんですね。

私はずっとグラフィックデザイン科で、イラスト専攻には行かなかったんですけど、
良くも悪くも、絵の技法を学び過ぎず、適度に学んだことがよかったと思っています。
学んで何かやるよりも、そうでないほうが、新しい何かが誕生しやすかったので。
私は学ぶと、すべてをそのとおりにやろうとしてしまうので。

専門はいろんな性格の人や奇抜な人がいたりして、とても刺激を受けました。
自分も、はっきり意見を言うようになりましたね。

それまでは「傷つけるから黙っていればいいんだ」と思っていたことも、専門入ってから言えるようになって。ちなみに「つん」という名前も専門学校でのあだ名なんですよ。
由来の意味はわからないんですけど(笑)

―その名前を得ただけでも大きい収穫ですね(笑)

それから、就活はほとんどしなくて。絵を描きながら、アルバイトとかしていく、そう言う生き方も挑戦としてありかなと思ったので。
卒業してからは正社員とかアルバイトとかこだわらず探しました。

だけどその時期は、いっぱいいっぱいで絵を描く時間がなかなかとれなくて。精神的にも体力的にも。

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(スケッチノートとペン)

でもその年、卒業してすぐの11月。
ひとりで3ブースを借り切ってデザフェスに出たんですよ。

専門の卒業制作で『自分』を表現した横2メートル縦1メートルくらいの絵と、
同じくらいの幅で100枚の絵を描いたんですね。

100枚と1枚で、『理想の自分』と『現実の自分』を表現したんです。

それを3ブースにバーッて。その前の1年がいろいろ精神的に追い詰められていた時期だったので、デザフェスに出ることがリフレッシュであり、そして大きなチャレンジでした。

―1人で3ブースですか!思い切りましたね!で、反応はどうでした?

そのときまで自分の絵がお金になると思わなかったんです。
でも、いろんな方が見てくださって、その中で横浜のショートシアターの方が、

「絵を飾って個展もしませんか」と言ってくださったんです。

そこで、2011年の3月に個展が決まったんです。…で、さあ、気持ちを切り替えて個展!…ってなったときに、震災が起こったんですよ。

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―…ああ、ちょうどその時期でしたか…。どうなりました?

もう搬入も終わっていて、オーナーさんは中止にするのも…と言ってくれたけど、あのときって、なんでも自粛・自粛だったじゃないですか。
それに、自分の絵ってカラフルなので、
無理に元気にさせるように思われるんじゃないかと思って…。

そんな迷いもあったのですけど「見たい」という方も多かったので、
やらせてもらうことになりました。
それも、計画停電とかで会場が休みになる事が多かったので、期間を半月から一か月に伸ばしてもらって。

―でも、私は今お話し聞いていて、やっていてよかったんじゃないかと思いましたね。
ちょっと私の話になりますけど。

私、小旅行程度ですが、今年の春、被災地を話を聞きに回ったんですよ。
そこで気仙沼の仮設商店街の雑貨屋さんで、
「震災直後はとにかく明るい色のもの、花柄のものが飛ぶように売れたのよ。
みんなひどいものばかり見てしまったから、美しいものをとにかく求めていたのね」
というお話を伺って。それを今思い出しました。

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(ライターのツルカワさん)

そうですね。
芳名帳に「暗い気持ちが明るくなった、ありがとうございます」って書いてあって、
その言葉をもらえた時は、個展をやって良かったなと思いました。

―ええ、本当にその通りだと思います。
その個展後、なにかつんさんのなかにも変化はありましたか?

自分の絵なんですけど、さっきも触れましたが、評価して頂けたとしたとしてもお金になるとは思わなかったんですね。
見てもらいたいとも思っていたけど、それを仕事にしようとは思わなかった。
でもいろんな方からアドバイスをもらって、
「自分の絵でお金をもらっていいんだ、自分の価値をあげるためにも自分の絵で仕事していくのは悪い事じゃないんだ」ということが分かりました。
そうしたら、絵に向かう前向きな覚悟が生まれましたね。

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―では、その絵の話ですが…
つんさんの絵は紙からあふれだしてくる色彩や人の表情に
目を奪われますね。目が離せなくなってしまう。
さきほど目の前で実演してくださったとき、すごいスピードで筆を運んでいましたが、
あのときは何を考えていたのですか? 

絵を描いている時っていろんなこと考えているんです。
「こういう絵を描こう」とはまったく思わないんですけど、
悲しい事思いながら描いてたりすると、キャラクターが涙を出していたり…。

写真とかって今、目の前に見えるものを見せることができるけど、心の中って写真は撮れませんよね。
そういう意味において私の絵は、『心の中を形に残すもの』です。

写真に喩えるなら、私の手がシャッターになって、絵が心の中を映すんです。
だから、絵の数だけ「こういうことあったな」と思うんです。
大事な想いを失くしてしまうのがいやなので、
それを残しておけるもの、それが私にとっての『絵』

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―「手がシャッター」ですか。印象深い言葉ですね。

そういう自分の心の中を見てほしい、
『私はこういう人だよ』と知ってほしいから描いているのはありますね。
そして自分の絵で元気になってくれたらうれしい。
私の絵ってキャラクターの肌の色、塗っていないんです。
私の絵がひとつの村だったり国だとしたら、どこの人、どの国の人というのは表したくなくて
「だれか」というふうにしか描いていないんです。
私は差別とかが嫌いで、だから国とか人種とか性別とかも、自分の絵にはないんですよ。

―「だれしも平等で貴重なんだよ」ということも表現しているようにも見えますね。

そうですね。
あと目をクローズアップして描いたバージョンの絵もあるんですけど。
私、目ってすごく好きなんです。一人も同じ目はいませんよね。
目って全部を物語っているような気がして…。
人の本当の部分を表しているようで魅かれます。

だから、とにかく人の目を入れて描きたいという想いがあります。
また、絵の中には下書きで終わるものもたくさんあります。
しまっておいて 半年後に引っ張り出してみたら良い作品になる、そういうことも。
自分の心を動かせる作品じゃないと、人の心も動かせない。感動させられないと思うんですよね。

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― 人といえば、「私の絵は人との繋がりによって完成します」という一文がHPにありますが。これは? 

人の繋がりって、よくも悪くもいいことだけでないし、悪い事だけでもないですよね。いろんな嫌な思いもしたこともあったけど、ひとりでいたら何も感じないし、いい思いもしないし嫌な思いもしない。
そういう意味で、人の繋がりがあってこそ、いいことも悪いことも体験できる…それが繋がりっていうのかなと。

―そういう「人の繋がり」から生まれた感情が、また、絵になっていくというループなのでしょうか。

自分に誇りを持っていえるもの、『絵』というものができたから
はっきりものをいう自分になって…『絵』がいますごい自分自身になっています。
あと、人から頂いた義理はちゃんと返さなきゃという想いがあって…
私の周囲は、人が軸になっています…感情も、人がいないと感じない感情ばかりなんですよ。

そのなかで、人を繋げてくれたとか、支えてくれたとか、
何か一言下さるだけでも、私にとっては一つの義理。
それも『絵』で返したいんです。

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―HPで、希望者の方に無償で絵をプレゼントする企画もおやりになりましたよね。

はい。
その方々のブログやプロフィールとか記事とか見て60~70人分思い浮かべながら描きました。
みなさんよろこんでいただけて…ブログに載せてくださったり。嬉しかったです。
いま、なかなか進められず申し訳ない思いもしていますが…。

―つんさんはご自身の絵で何を伝えたいのでしょうか。

「こんな私でも伝えることができるんだよ」ということですかね。
今、試みとして絵に言葉をつけて描こうとしているんです。
最近、いろいろ意見を求められたりすることがあるんですけど…
輝かしい何かを持っている人っているじゃないですか。

でも、それってそれまでの、努力なしにはありえなくて。
だけどそれに対して「運がいいからでしょ?」とか「環境がいいからでしょ?」
と言う人がいたり、自分も言われたり。

自分については、確かに環境も良かったし、本当にいろんな事に恵まれているからだと思うんですけど、
他の誰かがそうおもわれているのを見たり聞いたりすると、すごく悔しくて。
それを発信したくても、私から伝えるには、自身のつたない言葉だけじゃ「なんだ?」ってなっちゃう。

そこに私のコミカルな絵に言葉が付いていれば、
作品の言葉としてとってもらえて、伝わることもあるんじゃないかと思って。
色んな人がいるときに、いかにどうしたら、想いを伝えられるんだろう?と考えるんです。
私にとって、その手段は、絵なんですね。

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―なるほど。それぞれの人がそれぞれの得意な手段で何かを伝えていければステキですよね。

海外でも展示をして、再来年にNYで個展があります。伝えたいことはいつもと一緒。日本人の絵だからとか、そういうものすら超えたいと思っています。

―これからどんな絵を描きたい、という想いはありますか? 

私に可能なことであればどんどんやっていきたいですね。『絵』は私自身です。
私自身と良くも悪くも、一心同体のもの。それが『絵』なので。

―では、夢は?…どんな人になりたい、とかでも。

1つの世界観の名前になれるようになりたいです。
ウォルト・ディズニーみたいに、自分の世界観を作り出せる人になりたい。

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―叶えがいのある夢ですね…!では、作品を見てくれる方に伝えたいことがあったら、どうぞ。

すごいいっぱいあるんですけど…まず、もし絵をやりたいと思っている人がいるとしたら…」
うまい下手がすべてじゃない、描いた絵すべてが才能だと思います。
写実的に描ける絵も、何を描いているか一見分からない絵も才能。
誰かが「いい」を決めちゃいけないと思うので。

自分がいいと思うものを出す勇気を持っていれば大丈夫。
やりたいことはどんどんやったほうがいいと思います。

途中、立ち止まる事も時には必要なので、立ち止まったりもしましたが、続けてきたので『今』がある。
何が何でも諦めることだけはしない、という想いできました。

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(ペンを握るその手に想いを込めて)

そのほかの方には…たまに私自身が止まってしまう時もありますが、変わらず応援して頂けたら嬉しいです。
あと、有名になりたいという想いがあります。
そうすることで繋がってくれる人になにかしらの形で大きな恩返しがしたいんです。
手に取れるものではなくて、想いとしてのもので。

―ありがとうございました。では、最後に同じ表現をする人、ものづくりをする人へメッセージをお願いします。

それぞれ大切にしているものってあると思うんですけど、それを曲げちゃいけないと思うんですよね。
いろんな人の意見は一つの意見として、自分はこの人とは違うということがあっても、ひとつでも大切にしている世界観があれば、それを進めていければいいんじゃないかと。
一人でもそれを分かってくれる人がいればそれでいいんじゃないかと。

自分とは反する意見を頂いたとしても、その頂いた意見通りに努力するのではなく、
それを糧にして、逆に覆すくらいのパワーと努力を、行動にして行えばいいのかな。
そのひとに認めてもらうとかじゃなくて。
「全員の意見を聞いて、全員の意見を取り入れたら、あなたじゃなくなる」ってよく母に言われるんです。

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(2013.11.18 LUPOPO cafe&galleryにて・聞き手 ツルカワヨシコ)

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